小野伸二のコトバ|人を認めるということは、自分のプライドを削るということ

日本のサッカー史において「天才」という呼び方がもっともふさわしいと個人的に思う、小野伸二のコトバ。

このコトバはスポーツグラフ誌Numberの対談企画「黄金世代対談」で、同世代の稲本選手との対談中に生まれたもの。


冒頭にも書いたけど、小野伸二という選手を形容するときは、「天才」という表現がよく似合う。幼いころからその才能は注目を集め、各世代別代表でも常に中心選手として活躍してきた。エール・ディヴィジ(オランダのサッカーリーグ)にいたときには、今なおオランダ代表の中心として活躍するスナイデルや、世界的なストライカーであるファン・ペルシーからも、その才能を絶賛されていた。


こんなエピソードもある。

同じくNumberの、ラモス監督にインタビューをしたとある企画でのこと。インタビューアーが柿谷選手を指して「天才」と表現したことが彼の逆鱗に触れたらしい。日本代表になかなか定着できない柿谷をなぜ天才と呼ぶんだ、と怒気の混じった声でインタビューアーに迫った。その時にラモス監督が言ったコトバは、「日本で天才と呼べる選手はただ一人、小野伸二だけ」だった。


サッカーが好きな人であれば、「ケガさえなければ」とスポーツには禁物の「たられば」を言いたくなるほどの選手だったことに、異論を唱える人はいないのではないだろうか。



そんな彼のコトバは、幼いころ「天才」と呼ばれた選手はたくさんいる中で、なぜ彼らは勝ち続けることができたのか、という問いから生まれた。



確かにうまい選手、すごい選手は本当にたくさんいました。
ただ、「上に行きたい」という気持ちだけは絶対に自分の方が強かったと思うし、みんなが楽しんでいた時に、我慢して、努力したことは間違いない。


(中略)


大事なのは「人を認める」ということ。本当にすごいヤツがいたら、自分の方がすごいと過信せずに「どうしたら勝てるか」を考える。それができないと、努力しなくなっちゃいますよね。人を認めるということは、自分のプライドを削るということ。それができるかどうかがすごく重要だと思いますよ。


才能は磨かなければ光らない


ボクは才能の違いというのは「最初」と「最後」に表れるものだと思っている。


どんなものにも「初心者が最初につまずきやすいハードル」というのがあって、そこを乗り越えて初めてその道に進む一歩目が踏み出せるのだと考えているのだけど、中にはそのハードルをたいして苦しむこともなく乗り越えていく人がいる。これは「器用」というコトバで表現されることも多いけど、ボクはこれも才能のひとつだと思う。これが最初に現れる才能の差だ。


また、ピークを迎えたときの、その高さにも違いはあると思う。
一流と呼ばれる人と、超一流と呼ばれる人の違いには、努力以外の部分もきっとある。どれだけ努力をしたとしても100m10秒の壁が切れない陸上選手はたくさんいて、それら選手たちのことを「努力が足りない」ということはできない。


持って生まれたものの差、いわゆる「才能」の差というのが存在するというのは、残酷な事実のひとつなんじゃないか。


それでも、小野のコトバのように、天才と呼ばれる人たちも、成功するためには多大な努力を払っている。マンガ「はじめの一歩」の鴨川会長のコトバとして有名だけど、「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!」というのもまた、事実だと思う。


イチローも「天才いうなっ!」って言ったことがあるけれど、彼らが成功した要因を「才能」の一言で片づけてしまうのはあまりに酷だ。彼らは必死の努力でその才能を磨いてきたからこそ、今輝いているのだから。彼らほどの努力をせずに諦めていった人が「俺には才能がなかったから」というのは、彼らにとっては言い訳にしか聞こえないのだろう。


バカらしいと思われるかもしれないけれど、実はボクはイチローには負けたくないと思っている。もちろんそれは野球の話ではなくて、人生において努力をした総量、という意味でだ(それでも十分ハードルは高いのだけれど)。
この世の中で、唯一平等なことがあるとすれば、それは1日が24時間である、ということだと思っていて。その24時間をどう過ごすか、その中でどれだけ努力できるか、というのは自分次第だと思っている。


イチローのようなバッティングや守備、走塁を見せるのは無理だとしても、イチローのように努力するのが無理、というのは、どうしても自分に対して説明がつかない。
だからボクは努力をする。挑戦をする。
それは、ボクにだってできることだからだ。




人を認めるということは、自分のプライドを削るということ


「負けず嫌い」という要素は、努力の源のひとつ。

決して悪いことではないし、むしろ大切なこと。


「負けず嫌い」が発揮される分野というのは、少なからずその人が自信を持っている分野なのだろうし、その分野においてはプライドを持っているということなのだろう。


でも間違えてはいけない。

「負けず嫌い」ということと「負けを認めない」ということは似て非なるものだ。

そしてたとえ「今の自分」が負けていたとしても、「未来の自分」まで負けないように、その差を冷静に見つめ、どうしたらその差が埋まるかを必死に考え、もがき、努力することが大切なんだ。

そのためには、心のどこか(そんなに奥の方ではない)で「負けを認めたくない!」と叫んでいるプライドを削って、自分より優れていると感じている人の、自分より優れているところを受け入れる必要がある。
「未来の自分」のために「今の自分」が涙することが必要な時がある。


ボクも一部の分野においてはそれなりの負けず嫌いなもんだから、この「プライドを削る」という表現は妙にしっくりくる。プライドを捨てるわけじゃない、削るんだ。
残念ながら歪になってしまったプライドの一部を削って、そこからまた自分を育てていくんだ。


プライドを削るという作業は、その分野に自信があればあるほど、容易に受け入れられるものではない。

もだえたくなったり、叫びたくなったり、放り投げたくなったり。
それでも「未来の自分を諦める」苦しさと天秤にかけて、泣く泣く、できれば大切にしたかったプライドを削っていくんだ。


小野ほどの選手だって、天才の名をほしいままにした選手だってそうやって苦しんでいるのだから、ボクがそれをせずに済むはずがない。

そして、それができるかできないかを「才能」と呼ぶわけでは、きっとない。
その苦しみを乗り越えられるかどうかを「才能」と呼ぶわけでは、きっとない。


きっとそれは、「努力」という誰にでもできる範囲の中のことで、だからこそその範囲でできることの中で未来の自分を諦めることはしたくない。
いつか終わりの日を迎えたときに、諦めた記憶より諦めなかった記憶の方が多いのであれば、自分の人生を少し誇らしく思えるんじゃないかと考えているから。




昨日の自分に負けないように。
明日の自分に誇れるように。



GWが始まろうとしているこのタイミング。
少しの休息を取りつつも、自分を律することも忘れないように、ちゃんと自分を育てる努力を怠らないようにしようかな。




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