今日はちょっと趣向を変えて、もうすぐ母の日ということで、昔母からもらったコトバを。
50代半ば(当時)になる母から届いた、一通のメール
ボクは母を尊敬している。
もし「世界でもっとも尊敬している人を一人挙げろ」と言われたら、たぶん母を挙げる。
別にコンプレックスを持っているわけではないのだけれど、一人の人間として、大人として、本当に尊敬できる人だと思っている。
ある日、そんな母から一通のメールが届いた。もう何年前になるだろう。5年以上は経つだろうか。
そのメールは、彼女の意図とは別に、ボクが仕事をしていく上でとても大切なコトバとなった。
少しボクの身の上話をしたいと思う。
ボクの両親は、ボクが小学校5年生の時に離婚した。母が30代後半のころだ。
それからというもの、母は仕事に出て、家事全般は祖母が担うことになった。
母は真面目な性格ということもあって、とにかく仕事に励んだ。毎晩10時くらいに帰ってきて、家族の顔を見た後、持ち帰ってきた仕事を家で始める。そして、気づいたらそのままリビングで眠ってしまい、朝を迎える。
そんな毎日だった。
その甲斐もあってか、40歳近くで地元の中小企業の工場でパートを始めた母は、いつしか正社員になり、本社に異動になり、最後は営業課長という肩書をもつまでになっていた。
そんなある日。
母は50代半ばになり、祖母も80歳を超えたころ。
母から、一通のメールが届いた。
今日、事務の仕事に異動させてほしいと願い出て、会社に受領されました。
知っての通り、先日から体調を崩していたおばあちゃんが、ついに寝たきりになってしまったので、その介護をするためです。営業ではなくなるし、平社員に戻るので、給料は大きく下がることになるだろうと思います。
母さんは、営業の仕事が好きだった。
お客さんに「●●さん(母の名)だから発注するんだよ」と言ってもらえるとうれしかった。
誰かに信頼してもらえて、仕事を任せてもらえることがとてもうれしかった。
でも、仕方ないよね。
おばあちゃんは母さんにとって、この世でたった一人の母親だもんね。
この決断は、間違っていないよね。
こちらは大丈夫だから、二人(兄とボク)はそれぞれの家庭で、ちゃんと幸せを築くんだよ。
このメールは、息子であるボクらのリアクションを期待しているというよりは、ボクらに話しながら、自分に言い聞かせているような印象を覚えた。
まるで息子に伝えることで、もう後には引けないんだと、決意表明するかのように。母からのメールが教えてくれた、仕事に取り組む上で大切なこと
仕事において、モチベーションの大切さは、言うまでもないこと。
でも「モチベーションを上げろ」と言われて上げられるほど簡単なものでもない。どうしてもモチベーションの波というのは発生してしまう。
そこでボクは、モチベーションの基準値を高く保つことを意識している。簡単に言えばモチベーションを下げ過ぎない、ということ。
モチベーションが下がりそうなとき、それをグッとこらえる力。
母からのメールは、ボクにとってそんなコトバとなった。
1. 世の中には働きたくても働けない人がいる、という実感
もちろん、知識という意味ではわかりきっていたことだ。ただ身近にそういう人が現れたとき、知識ではなく実感として、強くそのことがボクの胸を打った。
正直に言うと、これまでは「働きたくても働けない人がいるのだから、働ける自分は幸せだし、もっと頑張らなくてはいけない」というのは、あまりに正しすぎて、キレイごとのように思えて、なかなか自分事化することができなかった。
でもこのメールがもたらしてくれた「実感」が、今ボクのモチベーションの「ストッパー」となって、向かい風に押し返されそうになったとき、背中を支えてくれているように感じる。
こればっかりはコトバで言われても、こうして記事を読んでもらったとしても、なかなか伝わらないんじゃないかと思う。先述の通り、ボクがそうだったし。
そういう意味では、実感する機会を得ることができたボクは、ある意味ラッキーだったんだと思う。
2. モノではなくコトに誇りをもつ
先に説明した通り、母はパートから正社員になり、営業課長にまで上り詰めた。
そんな母の勤める会社が取り扱っているものは何かというと、「電線」だ。
さまざまなコンピュータに使われる部品としての「電線」を母は売っていた。
もちろん、自社製品への誇りや自負はあったこととは思う。それでも、元々工学的なものに興味のなかった母が「電線」を取り扱うことに興味があったとは思えない(決して電線を作る仕事を否定しているわけではなく、あくまで母にとって、という観点で)。
母が好きだったのは、誇りに思っていたのは、取り扱っている「モノ」ではなく、自分がやっている「コト」だったんだと思う(実際、営業が好きだったと言っているし)。
モチベーションが低下したときに「好きなモノを扱いたい」「これは自分がやりたいこと(=扱いたいもの)ではない」という風に考えてしまう人もいるように思えるが、少なくとも母を見る限り、「好きなモノ」でなくても人は頑張れるはずだと、努力次第で結果を出せるはずだと思う。
3. 「何のために働くか」というモチベーションの『源泉』
「営業の仕事が好きだった」と母は言った。
でも母は大学卒業と同時に結婚をし、30歳半ばまでずっと専業主婦だった身。そんな母が営業という職に就くのである。大変な思いをしたであろうことは、少なくとも営業という職を経験したことのある人になら、想像に難くないはずだ。
どんな仕事であっても、楽しい側面もあれば、苦しい側面もあるはず。常に順調であれば何よりだが、なかなかそうもいかない。経験を積んでいけば、「楽しかった記憶 / 嬉しかった記憶」が苦しみを乗り越える源泉になってくれるのだが、少なくとも最初の成功体験を手にするまではそれは難しい。
母は大変な思いをしながらも、なぜ仕事を続けることができたのか。そのモチベーションの源泉はどこにあるのか。
それはおそらく、「家族のために働く」という部分だろうと思う。
モチベーションというより、使命といってもいいかもしれない。
彼女にとっては「家族を守ること」が絶対に譲れない部分であり、その想いがあったから、どんなに苦しかったとしても乗り切ることができたのだと思う。
最後の最後、折れそうな心を支えるのは、「何のために働くのか」という、使命や覚悟にも似た目的なんだと思う。
その後、還暦を迎えた母の介護に見守られながら、祖母は昨年の冬、静かに息を引き取った。最後の方は、記憶が巻き戻されて、ボクのことを認識できていないようだった。
ショックではなかったと言えばウソになるけれど、ボクの中にはたくさんの愛情を注いでもらった記憶が残っている。ボクが忘れていないのだから、何も問題はない。
母はと言えば、また改めて仕事を始めた。
どうやらボクのワーカホリックっぷりは、母の血を受け継いだようだ。
母は昔から、ボクにあれこれ指示を出したりしない。
やんちゃだった兄のおかげもあって、中学生くらいになったら頭ごなしに何かを言っても無駄なんだと悟ったらしく、ボクに対しては早い段階から「母さんはこう思うけど、おまえはどう思う?」と、自分で考えさせるような対話の仕方にしていたらしい。
そして、ボクは無意識に、母の何気ないコトバや背中から、たくさんのことを学んでいた。
今日のコトバも、そのひとつ。
母の、彼女のための決意表明にも似た1通のメールは、どんなに強い向かい風の中でも、グッとこらえ、足を踏み出す力をボクに与えてくれるんだ。
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