Stevie Ray Vaughan 「Life By The Drop」

ブルーズギタリストのカリスマ、スティービー・レイ・ヴォーンの、どストレートなブルーズ「Life By The Drop」を。

この曲は以前紹介した関口シンゴが教えてくれた曲

確か学生の頃、彼の家に泊まりに行った時だっただろうか。当時彼のヒーローだったスティービー・レイ・ヴォーンのCDをおもむろに掛け始め、この曲が流れてきた気がする。


アルバム「The Sky Is Crying」の最後に収録されているこの曲は、ギター一本でスティービー・レイが弾き語る、静かな、沁みるような、これぞ「ブルーズ」という一曲。


そう、沁みるんだ。


ボクにとっては、その表現が一番しっくりくる。

なかなか心が前を向いてくれないような夜、明かりを消した部屋でこの曲を流していたこともあった。実家で、夜中。相当うるさかっただろうな…。


「Hello, there! my old friend.」と始まるこの曲は、昔を懐かしみながら、さみしげに、悲しげに、でも前を向こうとしているような、そんな風に聴こえてくる。

今でもたまに、この曲で心を満たしたくなる時がある。そんな一曲。




地層のように積み重なった、音楽という経験



今日は、この曲を紹介してくれた関口シンゴの、3月4日に発売されたメジャーデビューアルバム「Brilliant」のレコ発ワンマンツアー初日。代官山LOOPまでライブを見に行ってきた。


彼のライブを見るのは、半年ぶりくらい。

いつの間にか、ワンマンでもLOOPをいっぱいにできるくらいになった彼のプレイを、誇らしげに、自慢げに、少しだけ悔しげに、たくさんの敬意をこめて堪能してきた。


今回のアルバムは、かなり「さらけ出している」感じがする。

彼が通ってきた音楽が、地層のように積み重なっていて、その地層の奥深くから吹く風と、比較的最近積み重なった層からの風が融合して、個人的に懐かしさと新しさの両方を感じた。



出会った高校生の頃、ボクらは洋楽のロックミュージックにハマっていた。いわゆる速弾きなどのテクニックを競う、ギターキッズだった。

そのころの彼のヒーローだったエリック・ジョンソンの影響も、その後通ったブルーズ、ファンク、R&B、ジャズといった音楽の要素も(もっと言えば、プレーヤーレベルで誰の影響、とすら言える部分も)、あるいはおそらく彼が楽器を始める前に聞いていたジャパニーズポップスの影響すら、今回のアルバム、そして今日のライブからは感じられた。


興味深いのは、年を重ねるほどに(といってもまだ30代前半だけど)、地層の奥深くから風が吹くようになっていることだ。


学生の頃のボクらは、自分が傾倒している音楽以外はまるで敵かのような勢いだった。本音の部分では好きなのに、ジャズをやっているときはジャズが正義、ファンクならファンクが正義と、過去のロックやポップスの経験を意識的に封じていた部分があったような気がする。

それがいつしか、素直に好きな音楽は好きだと、自分自身で受け入れることができるようになって。それによってこれまでの音楽史が、本当の意味で融合し始めている気がする。


これが、円熟味が増す、ということなのかもしれない。

今日のライブに、それを感じた。



でも、それって音楽に限った話なのだろうか。




自信が、過去の自分を受け入れる



ボクが積み重ねてきた経験をもし食してみることができたなら、それなりに苦味が強いんじゃないかと思っている。辛い思いや、苦しい体験を、それなりに積み重ねてきた。


でも自分の人生には、今のところ一切の後悔はない。

もし人生をやり直せるとしても、今いる場所に戻ってこれないのなら、何も変える必要はないとすら思っている。たぶん、それは幸せなことだ。



「過去は変えられない、未来は変えられる」と、よく言われる。

でも誰かが言っていて妙に心に残ったのは「過去は変えられる、未来は変えられない」という真逆のコトバ。



どんなに後悔しても、過去に起こった『出来事』を変えることはできない。

でも、その出来事をどう捉えるか、それを決めるのは「今」の自分。


過去の出来事が今の自分を作っている以上、きっとそれは必要なことだったんだと受け入れることができれば、その出来事は「糧」に変わる。

つまり、過去を変えることができる。



では、どうやったら受け入れられるのか。

それは常に、「今の自分が自分史上最高の自分である」と言えるだけの努力を積み重ねていくしかないと思っている。要は「今」の自分に自信をもてるだけの努力をするということ。


努力をして、「後悔」として残ってしまいそうなことすらも「糧」になったんだという自分にしていく。そうして過去(の捉え方)を変えていこうとすると、たぶん後悔なんてしている暇はないんだ。



関口シンゴの話でいえば、別に彼の音楽史には後悔するようなことはなかったはずだけど(笑)、それでも彼が素直に過去の地層からも音楽のインスピレーションを引き出せるようになったのは、今の自分にだいぶ自信がついてきたからじゃないかな、と思うんだ。




ライブの余韻に身を委ねながら歩く帰り道。

ふと、目黒川沿いに咲く桜に目をやれば、ついこの間咲き始めたばかりの花が、もうその身を散らし始めている。


桜は季節柄、そしてその儚さゆえに、出会いと別れの象徴のように感じられる。

出会いと別れを繰り返し、それがもたらす楽しくもあり、苦しくもある経験を積み重ね、その身に自身の地層を築いていく。

まるで散っていく桜の花びらが、やがて地層と同化していくように。


どう足掻いても、抗っても、過去の出来事は地層になっていく。

であれば、苦しい記憶が生み出した地層すら栄養分に変えて、もっときれいな花を咲かせよう。


それができるのは、今まさにここにいる、自分自身だけだ。




そんなことを考えながらこの曲を聞くと、きっと沁みてきますよ。



Stevie Ray Vaughan 「Life By The Drop」

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