おかざき真里さんのマンガ「サプリ」(祥伝社)より。
突然ですが、なんと「Best Ownd Sites March 2015」にこのサイトが選ばれたと。
10,000もサイトがあったら、よほどこのサイトよりいいサイトはたくさんあるでしょうに。。
セコセコ更新したのがよかったのか、どちらかというとグラフィック中心のサイトさんが多い(予想)中で、コトバに焦点をあてたのがよかったのか。
まぁどっちでも(というか何でも)いいか。
見ていただき、選んでいただけたことを素直に喜びます。ありがとうございます、光栄です。
ということで、感謝にちなんで、今日はマンガ「サプリ」からこのコトバを。
「サプリ」は広告代理店に勤める女性を中心とした、社会ではたらく人たちのリアルなところを切り取ったマンガ。
作者のおかざき真里さん自身、代理店でCMプランナーをやっていたそうで、言ってみれば事実をちょっと元にしたフィクション。それぞれの場面で描き出される情景がとてもリアルで、ドロドロもしていて、でもどこか澄んだ空気のような透明感があって。
個人的にはドラマ等で描かれる過剰なドロドロ劇は、ちょっとイタダケナイのだけど、このマンガはその透明感とコトバの選び方が、とても上手くてすごく好き。
名言といえるようなコトバも数多くあって、きっとまた取り上げることになる気がする。
「ソーリーよりもサンキューの方が好き」
コトバというか、考え方なのかもしれないけれど。
ボクは心にも「栄養」と「老廃物」があると思っていて。日々生きていく中で、心も栄養を消費するし、だから栄養を摂取する必要があるし、老廃物を出していかなきゃいけないと思っている。
その心の栄養補給やデトックスにおいて、コトバっていうのはとても大切な役割を担っていると思う。
ボクの感覚では「ごめんなさい」はデトックスに近い。
相手の心に溜めさせてしまった負の感情を少しだけ軽減するコトバ。
※多くの場合「ごめんなさい」と「許す」の間には、たぶんタイムラグがある。
もちろん、これはすごく大切なことで、謝るべき時は誠心誠意謝らなきゃいけないと思う。たまにクレーム対応とかで「謝るのではなく、ご指摘ありがとうございますといえ」的なことを書いているのを見かけるけど、謝罪の原因を作った本人に関しては、いきなりこれを言うのはちょっとどうかと思う。
きちんと謝れる力っていうのは、それはそれですごく大切なもの。
でも、社会にもまれる中で、いつしか謝ることがクセになって。
自覚なく、ふと口に出た「ごめん」が、「謝ってほしいわけじゃない」って相手に思わせてしまい、心の老廃物をためる原因になってしまうことも、きっとある。
一方で「ありがとう」は、心の栄養を補給できるコトバじゃないかと思う。
「ありがとう」「サンキュー」「グラッツィエ」「ダンケ・シェーン」「オブリガード」「謝々」「多謝」「カムサハムニダ」
外国語の授業でも最初の方に、たぶん「ごめんなさい」より先に習うコトバだ。
きっと誰かに感謝してもらえる、っていうのは、世界規模でとても幸せなことなんだと思う。
感謝されてうれしいと思う人は、もっと積極的に「ありがとう」を使ってみたらいいんじゃないかと。「感謝の気持ちを表して」と贈り物をするのも素敵だけれど、「ありがとう」っていうコトバも、きっと大切なギフトのひとつ。
例えば誰かが心配してくれているときに「心配かけてごめん」じゃなくて「ありがとう、心配してくれて」っていう方が、なんかハッピーじゃないか。
なんとなく相手の心に、栄養を届けられそうじゃないか。
だから、ボクは「ありがとう」は無自覚で使っていいと思っているし、「ごめんなさい」はなるべく自覚的に言おう、と思っている。
そしてたぶんボクも、ソーリーよりサンキューの方が好きだ。
今回はいつも以上に長くなってしまいましたが、「長文ですみません」ではなく、「ここまで読んでくれてありがとうございました」と、結ばせていただこうかと。
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