ついにメジャー通算3,000安打を達成したイチロー。その後に行われた記者会見で発せられたコトバを。
「ただバットを振って……まぁバットを振ること、それ以外もそうですよね。走ること、投げること。全てがそうですけれども、ただそれをして3000本はおそらく無理だと思いますね。瞬間的に成果を出すことはそれでも出来る可能性はありますけども、それなりに長い時間、数字を残そうと思えば、当然、脳みそを使わなくてはいけない。まぁ使いすぎて疲れたり、考えてない人にあっさりやられることもたくさんあるんですけど、でも、それなりに自分なりに説明はできるプレーをしたいというのは僕の根底にありますから、それを見ている人に感じていただけるなら、とても幸せですね」(Full-Countより)
イチローも、凡人なんだ
誤解を恐れずに言えば、ボクはこの発言を聞いて、そう感じた。
そして改めて、ボクがずっと彼をベンチマークしている理由は、そこにあるんだと感じた。
イチローに天賦の才があるかどうかの議論は別として。
以前にも書いたけれど、1日が24時間という平等な環境の中で、彼と同じくらい努力をすることができるのか、できているのか、という点において、彼はボクのベンチマークであり、その同一線上において、圧倒的な金字塔を打ち立ててくれているのが、彼だ。
その彼も、きっとメジャーに行って、自分を超える圧倒的な『才能』にたくさん出会ったんだと思う。
もっとよくするために、毎シーズンのようにバッティングフォームを変え、なかなか結果が出せない日々に悩み、苦しみ、打てなくなる時期を迎え、またどうしたらよくなるかを必死に考えて、トレーニングを積む。
でも、ふと他人を見ると、そんな苦しんでいる自分をあざ笑うかのように、あっさりと結果を出していく選手がいる。
あいつより、俺の方が考えているのに。努力しているのに。
そんなコトバが脳裏をよぎったことだって、きっと1度や2度じゃないだろうと思う。
「じゃあ、どうする?」
結局取れる選択肢はいつも2択。
諦めるか、諦めないか、だ。
打てなくなった理由を、年齢による衰えのせいにするのは簡単だ、と人は言う。でもたゆまぬ努力と工夫の結果、走るのは昔よりも速くなった。肩だって今も衰えていない。バッティングだけが、年齢のせいで衰えるなんてことはあるのか。どうしてもそう考えてしまう。
つまりイチローにとって、バッティングで結果が出しづらくなったことを、年齢のせいにするのはどうしても許せないことだったんだと思う。許せないことを受け入れるのは、実は簡単なことじゃない。だから、もがいてでも、苦しんででも、バッティングでも結果を出してやるんだ、と考える。そして、その努力を続ける。
人に夢や憧れを与える仕事だからと、きっと表には出さないようにしているんだと思うけれど、きっと彼は必死に這いつくばって、今の場所に辿り着いた。これだけの長期間結果を出しているということは、これだけの長期間苦しみ続けているということだ。
でも、それは仕方ない。諦めないという選択をした。自分以上に才能のある奴がたくさんいる。なら、努力するしかないじゃないか。自分は凡人なんだから。
イチローを見ていると、才能っていうコトバが言い訳にしか聞こえなくなる。
イチローを見ていると、いつだって自分が努力不足だと思い知らされる。
イチローを見ていると、もっともっと先へ進まなきゃいけない気にさせられる。
2コメント
2016.08.13 07:55
2016.08.12 07:59